今夜も長湯気分

誰に聞かせるわけでもない日々のこと

4回目

4回目の例のナニをアレした関係で二日間ぐらい体調悪かった。今でも肩がちょっと痛い。そんな中でも仕事してた自分を自分でちょっとだけ褒めたい。まあ、やるかやらないか迷うところではあったけど、それでもやっとこうかなと。とにかくこの日々を終わらせたい。身近な人たちを守りたい。それだけです。もうお祭りやって「コロナに負けない」とか言ってる場合でもないとは思うけどね。どうなんだろうね。

 

そんなわけでドラえもん映画を2本ぐらい一気見。とりあえず川村某氏はドラえもんに関わるのはやめたらどうか。え?ダメなの?そうなの?そうですか。

 

やっぱり20代の頃に比べると面白いこと書けないね。そんなもんかね。面白いこと書けるようになるまでのリハビリ的な感覚で、ほぼ推敲なしで書いていこうと思っています。チャオ。

お盆

お盆である。お盆は実家に帰って両親とか兄弟とか親戚に会って実家の居間でゴロゴロしたり墓参りしたり夕方になれば仏壇にお経をあげたりちょっとご馳走を食べたり懐かしい友に会ったりしたいのである。しかし今年も帰省は叶わなかった。県外への移動を自粛せよという職場からのお達しである。仕方がない。妻子は実家に帰ったが、私だけがこちらに一人残ることになった。

 

そんなわけで今日は一日一人である。10時過ぎに目を覚まし、コーヒーを淹れ目玉焼きを焼いて食パンに乗せて食べた。風呂掃除とトイレ掃除を済まし、洗濯を終えるともう13時であった。だらだらしていたら14時を過ぎ、山下達郎のサンデーソングブックが始まった。途中まで聞いたところであとは車の中で聞こうと出かけることにした。

 

目指したの市内の美術館。鉄道の展示と現代美術の展示。現代美術のアーティストがこの街に住んで作品を作ったという展示。単純な田舎礼賛になってなくて、その点は良かった。その後は近くの歴史館へ。戦争の展示。目新しいものはないがそれでも蒸し暑い中で見る戦時中の品々はこちらに訴えかけてくるものがあった。

 

その後、山奥で期間限定でやっている美術館へ。ロケーションもよく、時間帯もちょうど日が暮れるころで山間の町並みを見ながら少しセンチメンタルな気分に。「何か壁に描いていきませんか」と言われたので大山の稜線を描いて、作家の方と少しお話をした。

 

さらに山の上に登って大山寺の大献灯へ。天候のせいか一昨年に比べると灯りも人も少なく少し寂しい。大山寺まで登って下山。

 

それにしても先週から見始めた「世界の中心で、愛を叫ぶ」はもう5話である。早くもここからは悲しい展開だなあ。綾瀬はるかの奇跡のような可憐さ。素晴らしい。

想像力

仕事をしてきた。職場ではN-95マスクにフェイスシールド着用。N-95マスクは締め付けられるし呼吸はしにくいし、これだけでもストレス。おまけに1週間は同じものを使わないといけない。サージカルマスクを毎日交換するのと、N-95を1週間使いまわすのと、どちらが感染予防効果があるというのか。いやしかし、これが温度差だ。職場とそれ以外ではまるで別世界のようだ。

 

昨日の桂宮治独演会で印象に残っている話。高校で落語をやると偏差値と笑いの大きさが比例するという話。これ、ラジオで伯山先生も言ってた。つまりは想像力の差ではないかというようなことを話されていたような。そういうこともあるかもしれない。

桂宮治独演会に行ってきた

コロナ禍である。地方紙の記事に病院の現状と経済活動を再開しようとする社会との温度差を感じるというようなことが書いてあったが、まあ、仕方のないことではあるかなと思う。風邪扱いで経済ガンガン回すのが正解とは思えないし、ガチガチの自粛・封鎖生活が正しいとも思えない。結局はいい塩梅のところを探して着地するしかないのかもしれない。

 

そんなわけで温度差を感じるために落語を聞きに行ってきた。桂宮治独演会。落語を生で聴くのは20年ぶりくらいか。伯山先生のラジオを聴くようになってから落語熱が再燃。せっかくの機会だからとチケットを取ったのが6月。まさかその頃はこんなに感染が爆発しているとは思わなかった。行くかどうしようか迷ったけど、行ってよかった。

 

少し迷った挙句に駐車場が満車で開演ギリギリに会場に到着。座席に着いたのは出囃子がなってる頃だった。

 

オープニングからあっという間の二時間半。いやあ、しかし笑った笑った。こんなに笑ったの久しぶりだったかもしれん。

 

今は人との会話も最小限、オンライン飲み会は楽しいけれどテンポの良い会話で爆笑なんてないし、テレビも面白くない。仕事で疲弊し、家庭では子育てに追われ、笑う余裕なんてなかった。

 

マスクしているし飛沫気になるから声をあげて大笑いというわけにはいかなかったけど、手水廻しとか苦しくなるくらい笑ったし、子別れでは親の気持ちがわかってちょっと泣きそうになった。

 

ほんと、男も女も老人も子供も全部桂宮治なんだけど桂宮治じゃないっていう落語という芸の不思議さね。凄かったなあ。

 

また機会があれば行きたいなあ。誰だったか、落語という芸はダメな人間を肯定しているってなことを言っている人がいましたけど、なんだか今の自分を肯定されたような気がしてね。明日からまた頑張ろうと思えました。

おげんさんのサブスク堂

コロナ禍である。仕事場も陽性者が続出。暑い中N95マスクとフェイスシールドを装着して勤務する様はSF映画の登場人物にでもなったかのような気分だ。行動は制限され、勤務環境も悪化、家人の影響で出勤停止もあり、思うように働けない日々は思ったよりストレスだ。

 

そんなことより星野源である。先日の『おげんさんのサブスク堂』で「ソリトンSIDE-Bを超えるような番組を作りたくて、別の方法で超えようと思ったらこうなっていた」と言っていた。同じ1980年生まれサブカル男子として、この発言は嬉しくもあり羨ましくもある。

 

思えば星野源氏、細野晴臣に見出され、ドラえもんの主題歌を歌い、スーパーマリオとコラボレーションし、女優の妻を娶るという、1980年生まれサブカル男子として頂点に立つような活躍である。私が子供の頃にドラえもんの主題歌をいつか自分が歌うとか、スーパーマリオと何かしようとか、そんなことは想像もできなかった。しかし、星野さんはやってのけたのである。すごい。

 

ソリトンSIDE-B』は私も大好きな番組だった。『真夜中の王国』とかラジオで言えば『ミュージックスクエア』とか、ネットもなくド田舎に住んでいた私にとって、これらの番組がまさに文化への扉であった。最近はこういう番組がなく、寂しいなと思っていたし、当時の私みたいな若者は今、何を見ているのであろうと勝手に案じていた。まあ、ネットで何か見ているのだろうけれど、やはり上質なコンテンツに触れることができる番組というのは、その入り口として必要だと思うのだ。

 

そこで星野氏の先の発言である。そうか、おげんさんは私の志すところと同じであったのだな、などと不遜にも思ったりしたのである。

 

漫画『俺たちのフィールド』でアナウンサーのモロ岡さんが自身もサッカーを志し挫折した経験があると前置きし、サッカー日本代表選手について「今、彼らはサッカーを通じて、関わりあったり競い合ったり憧れたりしている人々の代表としてフィールドにいます。サッカーに関わった全ての人々の破片を纏って、彼らは今、戦っています。彼らは『私』です。彼らは『私たち』です」と語る場面がある。

 

星野源もまさにこれである、と私は勝手に思っている。同世代のサブカル者の破片を纏って、彼はメジャーシーンで戦っている、と勝手に思っている。もっともっと、あの頃の僕たちが夢見たことを、そして想像もできなかったことを、やってのけてほしい。そう思う。

世界の中心で、愛をさけぶ

日曜日の夜、The CoversのKinKi Kids回を見た後で、何気なくチャンネルをザッピングしていたら、画面に鮮やかな夏の景色が飛び込んできた。BS-TBSで2004年のドラマ「世界の中心で、愛をさけぶ」が再放送していたのだ。

 

世界の中心で、愛をさけぶ」、略して「セカチュー」。原作は2001年刊行の大ベストセラーである。所謂、泣ける系、ヒロインが死んじゃう系として、今や食傷気味となっているテーマの作品であるが、私はこの小説も好きだったし、何と言ってもこのドラマ版が好きだった。好きだった。

 

ヒロイン、綾瀬はるかという圧倒的ミューズの魅力。どこか懐かしい80年代の夏の情景。前半部のキラキラした青春の風景は私の憧れていた世界そのものであった。

 

そして、そんなキラキラした前半があるからこその、重く悲しい後半。17歳の山田孝之が大切なものを失い17年経って緒形直人になるとは。なんという見事なキャスティングだ。当時の私は唸ったものである。

 

私には17歳の時にこんな輝くような恋や青春の思い出はなかったし、故に現在でもこれほどの大きな喪失を経験したこともない。

 

それでもこの物語は今でも私の胸を締め付ける。

 

18年ぶりにこのドラマを見て、18年前の、まだ何者でもなかった20代前半だった自分を思い出した。このドラマのサントラを聞きながら古い中古車で田んぼの真ん中の道を、明日をも知らず走っていた自分の姿を。

 

ドラマは第4話だった。できれば第1話から見たかったが仕方がない。また来週も見ようと思う。

 

それにしても大人になった朔太郎よりも今の自分が年上になろうとは。年月の流れは早いものです。