今夜も長湯気分

誰に聞かせるわけでもない日々のこと

桂宮治独演会に行ってきた

コロナ禍である。地方紙の記事に病院の現状と経済活動を再開しようとする社会との温度差を感じるというようなことが書いてあったが、まあ、仕方のないことではあるかなと思う。風邪扱いで経済ガンガン回すのが正解とは思えないし、ガチガチの自粛・封鎖生活が正しいとも思えない。結局はいい塩梅のところを探して着地するしかないのかもしれない。

 

そんなわけで温度差を感じるために落語を聞きに行ってきた。桂宮治独演会。落語を生で聴くのは20年ぶりくらいか。伯山先生のラジオを聴くようになってから落語熱が再燃。せっかくの機会だからとチケットを取ったのが6月。まさかその頃はこんなに感染が爆発しているとは思わなかった。行くかどうしようか迷ったけど、行ってよかった。

 

少し迷った挙句に駐車場が満車で開演ギリギリに会場に到着。座席に着いたのは出囃子がなってる頃だった。

 

オープニングからあっという間の二時間半。いやあ、しかし笑った笑った。こんなに笑ったの久しぶりだったかもしれん。

 

今は人との会話も最小限、オンライン飲み会は楽しいけれどテンポの良い会話で爆笑なんてないし、テレビも面白くない。仕事で疲弊し、家庭では子育てに追われ、笑う余裕なんてなかった。

 

マスクしているし飛沫気になるから声をあげて大笑いというわけにはいかなかったけど、手水廻しとか苦しくなるくらい笑ったし、子別れでは親の気持ちがわかってちょっと泣きそうになった。

 

ほんと、男も女も老人も子供も全部桂宮治なんだけど桂宮治じゃないっていう落語という芸の不思議さね。凄かったなあ。

 

また機会があれば行きたいなあ。誰だったか、落語という芸はダメな人間を肯定しているってなことを言っている人がいましたけど、なんだか今の自分を肯定されたような気がしてね。明日からまた頑張ろうと思えました。